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雨月

Author:雨月
カウンセリングやヒーリングを仕事として*年
最近では、スピリチュアリストと言う方が通りが良くなりました。
生きとし生けるものが大好きで、人が大好きで、何より寝ることが好き!
比叡の山中に庵(虹の風)を構えています。
疲れたら、一休みしにいらっしゃいませんか?
琵琶湖の風に吹かれ、鹿やいのししの声を聞き、鳥に目覚めを即される。そんな庵です。


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桜・さくら

我が家の庭に桜の木がある。

ここに引っ越して来た時に2本植えたうちの1本
見事なほどの大木になってきた
最も、家主の手入れが悪い(手入れをしない・・)ので
あっちこっちに伸び放題
枝を張り放題
道に張り出してはのこぎりでゴリゴリと切られ
窓にぶつかると言っては剪定ばさみを入れられ
犬のふんを拾い難いいとってはチェーンソーで刈られ

それでも
今年も見事に花を咲かせた
あ、桜と言ってもさくらんぼの木なので、花が早いのだ
昨年は
近年になく、多くのさくらんぼを収穫した
肥料を上げることもなく
夏の日照りに水を上げるでもなく
ただただ、たくましく行き続けている

同じときに植えた方割れは
ある年、いきなり枯れてしまった
春に、芽を出さなかったのだ

今年花をつけた木と
枯れてしまった木の間に
何の違いがあるのだろう?
少なくとも
私にはそれは見つからなかった
虫が入ったのかもしれない
病気になったのかもしれない
同じように寄り添った一方が倒れ
もう一方はすくすくと毎年花を咲かせている

犬や猫は、飼い主が気をつけていなければ病気の発見が遅れると言う
木は、もっと、もっと、何も言わない
根が腐っていようと、幹の中に大きな空洞があろうと
何も言わない
人は、痛ければ痛いと言う
だから病気が直しやすいと言う

しかし・・・・・
本当にそうだろうか?
人の心は、悲しくても、なみだをながせないことがある
人の心は、凍えていても、顔に笑顔を浮かべることが出来る
人の心は、痛みを感じていても、痛いと言わないことが多い
人の心は、苦しくても、苦しいと外からわからないことが多い

そして、気がついたとき
     こころが壊れていたりする


人のほうが見えないものが多いのかもしれない。


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ネットに住まう

この数日、mixiの一部をにぎわしている募金活動がある
まんざら、関係がない世界のことではなかったので、覗いてみて驚いた!
募金活動が悪いと言うのではない。
内容を云々と言うのではない。
ただ、主旨ややり方に驚いたのだ。

人様の大切なお金を頂いて何かしようというときに、
なぜ、HNだけでできるんだろう?
フリーのメールアドレス一つが連絡先。
そんなことができるんだろう?
名前を出すわけに行かない。
などと言う甘えがなぜまかり通るんだろう?

寄付を募ると言うことは、
要するに、
お金が足りないから、お金をください。
と言うことなのだ。
基金と言う言葉を、辞書を引くべきだ。
やっているのは単なる募金活動だ。
募金活動も、自分たちの力の一環だと思うのかもしれない。
ただ、責任の所在のはっきりしないこういった行為は、
一つ間違えれば、チェーンメールとなってしまいそうな、
そんな危険すらある。
うっかりすると、詐欺行為の助長につながる危険すらある。
街頭の募金とは違う。
街頭の募金なら、そこに立っている人という実体がある。
HNで、それが誰だか知っている。というかもしれない。
本当に知っているのか?
ブログや、mixiの書き込みを読むことは、
その個人を知っていることなのだろうか?
発起人?に知っている人のHNを見つけてのけぞった!
この人が、こんな馬鹿なことに気が付かない人だとは思わなかったからだ。
こんな無責任なやり方をする人だとは思わなかったからだ。
責任、と言うことをちゃんと考えて行動する人だと思っていただけに、愕然とした。
いや、もしかしたら、
ある意味、ネットに巣食う魔物を良く知っているのかもしれない。
実体のない実体と言う・・・・魔物
なりすまし
と言うのが、一時、いろいろなところで言われていたころがあった。
こういった形で寄付と言うことが成されるのを見ると、
日本は本当に平和なのだと思う。
日本人が、海外の旅先でいろいろな困難に直面するのも当たり前だと思う。
人を疑え。と言うのではないが、
人を疑わない。と言うことは美徳ではない。
単なる自己責任なのだ。
そして、
責任の所在をはっきりすることは、
小額でも、お金を動かそうとするのには当たり前のこと。
私が固すぎるのだろうか?
とっても不思議なネットの世界。
見も知らぬ、会ったこともない人が
一瞬で親しくなれる世界。
親しくなった。と錯覚することのできる世界。
恐ろしい!
と感じる瞬間でもある。

美味しいもの

最近、美味しいものをたくさん頂くことが多くなった。

ケーキ・チョコレート・ナッツ

ご馳走して頂く機会にも恵まれて

美味しい生活を満喫・・・

当然、体重計に乗るのが恐ろしい・・・・

人は、何を持って、これは美味しい。と思うのだろう。

   美味しいと不味い

この二つは正反対のようで、実はとっても仲良し。
同じものを食べても、
美味しいと感じる人もあれば、
不味いと感じる人もある。
生や煮たトマトは食べられないのに、トマトピューレは大丈夫だと言う友人が居た。
肉体であるからだが必要なものを、人は美味しく感じるのだ。と言う人も居るが、
どうも、それは眉唾だ。
もしそうなら、
糖尿病の人は、味の薄いものを美味しいと思うはずだし、
脚気の人は、麦ご飯が美味しいだろう。
しかし、現実はそうじゃない。
見た目でも、匂いでも、味でもなく、
人は何を持って美味しいと言うのだろう。

もちろん、見た目や匂いや味はとても大切な要素だろう。
しかし、それは決定打ではない。
同じものでも、
美味しいと感じるときと、そんなに美味しくない。と感じるときがある。
一緒に食べる相手や、状況や、気候など。
そこにはいろいろなものがあるのだろうが、
それで割り切れるものでもない。

人間  と言うのは、厄介なものだ。



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「自分らしく」していたらいい。と言う。

「あなたらしく」してください。と言う。


 だから、思うとおりに生きてみた。
 だから、やりたいように生きてみた。
 だから、言いたいことを言ってみた。


「あなたは勝手だ」と言う。
「あなたは自己中心的だ」と言う。
「あなたはわがままだ」と言う。


自分らしく、自分の思うように、自分の望むように、生きてみただけなのに。
「わたし」と言うものを素直に出してみただけなのに。
いまさら、どうすればいいというのだろう。
「わたし」はどうしたらいいのか・・・・誰も教えてくれなかった

「自分で考えたらわかるはずだ」と言う。
「そんなことは当たり前のことだ」と言う。

 判らないから悩んでいる
 当たり前じゃないから悩んでいる


まるでコンクリートで出来た厚さ1メートルの壁が立ちはだかっているようだ。
足がかりも、手がかりもなく、 
見える限り高く聳え立っているようだ。
右にも左にも、
果てしなくつながっているようだ。
向こうに何があるのか、私には見えない。
見ることが出来ない。
向こうに何がおきているのかわたしには聞こえない
聞くことが出来ない。
私以外は、みんな向こう側にいる。
どうしたら向こう側にいけるのか、誰も教えてはくれない。
まいにち、  
  まいにち。
壁はこちらへとじりじりと迫ってくるようだ。 



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ゆっくりずむ

 ゆっくりで良い。 と、人はいう。
 あせらなくていいんだよ。 と、友人が言う。
 ちょっとお休みしましょう。 と、先生が言う。 


でも、あせってしまう・・・・

周りを見回せば、みんな急いでいる。
自分も急がなければ、きっと取り残されてしまう。
そうとしか思えない。
体がこわばって、動けなくなっても、
心は忙しく動いている。
あっちもこっちも、気になることばかりが目に入ってくる。
今、これをしなくては!
今、この事をやっておかなくては!
いくらみんなが、あせらなくて良いよ。と言ってくれても、
の心は、常に騒いでいる。
そうしている間に、置いて行かれる恐怖でいっぱいだ。

 ゆっくりで良い。 と、人はいう。
 あせらなくていいんだよ。 と、友人が言う。
 ちょっとお休みしましょう。 と、先生が言う。

そう言ってくれる人たちは、みんな、忙しそうに動いている。
私に、声をかけてくれながら、
その目は違うところをすでに見ている。
もう、私など、目に入れる価値がないかのように。

 はここにいていいのかすらもうわからない。
 は自分自身が誰なのかにも自信がない。
 は今、生きているのかどうかも不安で仕方がない。 


それなのに、
 ゆっくりしましょう。
 あせらなくていいよ。

といわれても、それは、
 あなた はもう、私達に価値がなくなったよ。
 あなた は存在しなくていい人間だよ。
 あなた には何の期待もしていないから。

としか、響いてこない。
みんな、私のことを心配してくれているのだとはわかる。
でも、それは、
私がどんなにダメな人間なのかを思い知らせてもくれる。
必要な人間なら、
役に立つ人間なら、
 やすんでいいよ。
なんていうのだろうか?


 の心の中は、出口のない迷路。
誰の目にも写らない迷路の中で、永遠にさまよっている。
 



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