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雨月

Author:雨月
カウンセリングやヒーリングを仕事として*年
最近では、スピリチュアリストと言う方が通りが良くなりました。
生きとし生けるものが大好きで、人が大好きで、何より寝ることが好き!
比叡の山中に庵(虹の風)を構えています。
疲れたら、一休みしにいらっしゃいませんか?
琵琶湖の風に吹かれ、鹿やいのししの声を聞き、鳥に目覚めを即される。そんな庵です。


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ペットロス

最近、といっても、もうかなりになるが
ペットロスと言う言葉を
よく耳にする。
言葉の通り一緒に過ごしたペットが亡くなった後
極度の鬱状態になったりして、
立ち直れなくなることを指すのだが、
ペットロスについての解説や関連の文章を読むと、
最愛の子供を亡くしたように、
とか、
時には子供を亡くしたよりも、
などという表現がでてくる。

私は常々、これに違和感を抱いている。
なぜなら、
ペットと子供は決定的にに違う物があるからである。
私自身、世間で言う愛犬家、愛猫家であり、
実際に、愛犬や愛猫を亡くしたときは、
しばらく仕事も手に付かなかった。
仕事場に行ったのだが、
「そんな状態では仕事にならないから帰れ」
と言われたこともある。
だが、
それは子供を亡くしたとはまた違う。
一番近いのは、
(それでも遠いのだが)
比喩としての表現だと、
孫を亡くしたような
と言うのかもしれない。

子供と孫、
似たようなものではないか?
と言う方も多くいらっしゃるだろう。
孫も、子も、可愛いには変わりはない。
ただ、そこに存在する責任感が違うのだ。
子供という物は、
ただ食べさせ、着させてやればいいと言う物ではない。
教育という責任が伴う。
特に、情操教育であったりする。
社会性の部分においては、
親の果たす役割というのは、
初期の段階では大変大きく、
成長後の、子供に人生において、
あらゆる事の判断の基準ができあがるときでもある。

もちろん、ペットだってしつけなくてはならない。
特に、犬は、
散歩に連れて行ったりするときに、
問題を起こさないよう(人を噛んだりしないよう)
きちんとしたしつけを必要とする。
そのために、訓練校まである。
だが、それ以上の訓練や学習については、
飼い主の自由であり、
少なくとも、日本においてはそれ以上の物は求められていない。

猫に関しても、
近所の庭で粗相をするなどの、
被害に関して気を付ける(完全屋内飼いにする)
むやみの繁殖しないようにする。
などの最低限のことを守っていれば
問題は起きないのだ。

でも、子供は違う。
人にあったときの挨拶とか、
他の子供とトラブルを起こさないようにするための教育とか、
そこに内在される問題の大きさが違う。
そして、親に対して求められる
責任の大きさも違うのである。

ペットは、どちらかと言えば、
その責任はあるけれども大きくなく、
可愛い!
と思うことが一番大切な行為なので、
そこに他のものがはいる余地がなくとも、
子供とは全く違う位置づけなのである。

ペットロス。
これは確かにある。
なかな赤立ち直れないのも、
この、
無条件に可愛いと言える。
と言う存在だから故である。
なかなか、無条件に可愛い。
といえる物など代替えが効かなくて当たり前。
ペットは
言い返さない。
文句も言わない。
その代わり、体調不良も自分からは言わない。
飼い主が全てを気に掛けてあげなくてはならない存在。
御飯も自分では取ることが出来ず、
飼い主が用意したものを食べる。
そんな無力な存在。
人は、そう言った生き物に、大変感情移入をしやすい。
何も言い返さないから、
全ての話を肯定的に聞いていると思うことも出来る。
他の人に話すと言うこともないから、
自分を裏切らないと思うことが出来る。
そんな便利な存在が亡くなったら、
落ち込んで当たり前だろう。

ペットロスは、
それに代わる物を見つけるか、
そう言った存在を今は持っていないのだ。
と言うことを現実として受け止めるかしか、

クリアーできる方法はあいように思う。
予防は出来る。
自分がそう言った存在、
自分が無条件に愛しいと思える存在を求めているのだという
そのことをちゃんと把握しておくこと。
もし、自信がないのなら、
ペットが亡くなる前に、
新しい家族を迎え入れておくこと。
そのくらいしか対処を思いつかない。
というのも、
先の述べたような理由で、
ペットロスというのは、
自分自身が、
全ての話を肯定的に聞いていると思うことも出来る。
自分を裏切らないと思うことが出来る。
そう言った存在を失ったことから起きるのだから。

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人間は人間に生まれ変わるし、
犬は犬に、
猫は猫に生まれ変わる。
人間とほかの動物では、魂の形が違うので、
人間が人間以外の動物に生まれ変わるということはないのだ。
そして、その逆もまたしかり。

多くの書籍やスピリチュアリストが
過去世について述べているが、
結構多くの記述が、
動物に生まれ変わる。
とか、
過去世が動物だとかいうものである。
そして、少なからずそれをよくないことだと表現している。
前世がサルだったとしよう。
それは笑いと同情を呼ぶかもしれないが、
それを誇りに思う人はなかなかいないだろう。

ちょっと冷静になって考えてみよう。
動物に生まれることが恥なのだろうか?
万が一(これは私の説ではないが)動物に生まれた後、
人間に生まれ変わるとすると、
それはすばらしいことなのだろうか?
人間は万物の霊長?
生きとし生けるものの頂点に立つ?
人間は人間であるだけでえらい?
なんという思い上がりだろう!

これは多分に宗教の影響が大きい。
その昔、日本の権力者が、
自分たちの支配を確立させ、
人民を支配しながらも、その人民に
自分たちもまた、強い場所にいるという幻想を抱かせるために、
身分差別というものを作り、
それを支配のための道具としたように、
宗教は、
人間と人間以外の動物の間に
あたかも、霊的な上下があるかのように
示唆したり、表現することによって
人間はすばらしい!
人間であること、人間に生まれることは、
それだけで、特別な存在であるというように錯覚させ、
輪廻転生において、次も人間に生まれることができるように
精神性や、信仰心を固める役に立てたのである。

これが永きに渡って、
社会にまで浸透した結果、
今のように、人間は、人間であるだけで、特別な存在である。
といった考えが、浸透してしまった。

もし、人間が犬に生まれ変わり、
蝶がまた人間に生まれ変わるのだとしたら、
草木は人間に生まれ変わるのだろうか?
人間は草木に生まれ変わるのだろうか?
人間も、犬も、猫も、蝶も、ゴキブリも、桜も、バラも、ひまわりも、すべて生きている!
生きているという部分では、みんな同じなのだ。
では、人を人たらしめているものは?
犬を犬として形作っているものは?
桜を桜として存在させているものは?
それは肉体の形だけではない。
肉体の形に応じた魂が入るのだ。
つまり、肉体と魂が両方調和して初めて
人間!犬!桜!という区別が生まれるのだ。

人間の肉体には人間の魂。
犬の肉体には犬の魂。
桜の身体には桜の魂。
それぞれに魂の形も違う。
それは、個性というようなものではなく、
魂そのものの持つ特性や形状の問題なのである。

だから、犬は人間に生まれ変わることはできないし、
人間は桜に生まれ変わることはできない。
どんなに醜く、つらくとも、
人間は、人間に生まれかわらぜるをえないのだ。

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自分自身が、なぜ、今、ここに生まれてきたのか?
と問われて、答える事のできる人が居るだろうか?
ほとんど居ないに違いない。
人はみな、生まれてくるときに、
なぜ、ここに、この時期に生まれてくるのかを忘れる。
忘れないと都合の悪いことがたくさんあるからだ。
この世は地獄である
と、私はよく言うが、
それは、今が苦しみに満ちているからではない。
今の悩みや学びがそのまま魂に刻み込まれるからなのである。
では、なぜに生まれるときにすべてを忘れるのか?
そうしないと、新しい感覚を身に付けられないからである。
新しい感覚?
新しいもの見方とも言える。
何が美しいと感じるか?
何が楽しいと感じるか?
どうあれば幸福だと感じるか?
それは、生まれるたびに少しずつ違って見えるものなのである。

前世で出会った人に対してでも、
新しい関係で新しい感覚で出会えば、
また違った見方が生まれてくる。
そこにこそ、新しい生き方が芽生えるのだ。
そのために、生まれて来るとき、人はすべてを忘却の彼方に置いてくる。

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