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雨月

Author:雨月
カウンセリングやヒーリングを仕事として*年
最近では、スピリチュアリストと言う方が通りが良くなりました。
生きとし生けるものが大好きで、人が大好きで、何より寝ることが好き!
比叡の山中に庵(虹の風)を構えています。
疲れたら、一休みしにいらっしゃいませんか?
琵琶湖の風に吹かれ、鹿やいのししの声を聞き、鳥に目覚めを即される。そんな庵です。


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人間は人間に生まれ変わるし、
犬は犬に、
猫は猫に生まれ変わる。
人間とほかの動物では、魂の形が違うので、
人間が人間以外の動物に生まれ変わるということはないのだ。
そして、その逆もまたしかり。

多くの書籍やスピリチュアリストが
過去世について述べているが、
結構多くの記述が、
動物に生まれ変わる。
とか、
過去世が動物だとかいうものである。
そして、少なからずそれをよくないことだと表現している。
前世がサルだったとしよう。
それは笑いと同情を呼ぶかもしれないが、
それを誇りに思う人はなかなかいないだろう。

ちょっと冷静になって考えてみよう。
動物に生まれることが恥なのだろうか?
万が一(これは私の説ではないが)動物に生まれた後、
人間に生まれ変わるとすると、
それはすばらしいことなのだろうか?
人間は万物の霊長?
生きとし生けるものの頂点に立つ?
人間は人間であるだけでえらい?
なんという思い上がりだろう!

これは多分に宗教の影響が大きい。
その昔、日本の権力者が、
自分たちの支配を確立させ、
人民を支配しながらも、その人民に
自分たちもまた、強い場所にいるという幻想を抱かせるために、
身分差別というものを作り、
それを支配のための道具としたように、
宗教は、
人間と人間以外の動物の間に
あたかも、霊的な上下があるかのように
示唆したり、表現することによって
人間はすばらしい!
人間であること、人間に生まれることは、
それだけで、特別な存在であるというように錯覚させ、
輪廻転生において、次も人間に生まれることができるように
精神性や、信仰心を固める役に立てたのである。

これが永きに渡って、
社会にまで浸透した結果、
今のように、人間は、人間であるだけで、特別な存在である。
といった考えが、浸透してしまった。

もし、人間が犬に生まれ変わり、
蝶がまた人間に生まれ変わるのだとしたら、
草木は人間に生まれ変わるのだろうか?
人間は草木に生まれ変わるのだろうか?
人間も、犬も、猫も、蝶も、ゴキブリも、桜も、バラも、ひまわりも、すべて生きている!
生きているという部分では、みんな同じなのだ。
では、人を人たらしめているものは?
犬を犬として形作っているものは?
桜を桜として存在させているものは?
それは肉体の形だけではない。
肉体の形に応じた魂が入るのだ。
つまり、肉体と魂が両方調和して初めて
人間!犬!桜!という区別が生まれるのだ。

人間の肉体には人間の魂。
犬の肉体には犬の魂。
桜の身体には桜の魂。
それぞれに魂の形も違う。
それは、個性というようなものではなく、
魂そのものの持つ特性や形状の問題なのである。

だから、犬は人間に生まれ変わることはできないし、
人間は桜に生まれ変わることはできない。
どんなに醜く、つらくとも、
人間は、人間に生まれかわらぜるをえないのだ。

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コメント

はじめまして。
検索から、たどり着きました。

思い悩むことがあり、スピリチュアルなことに、
答えが見付かるかと模索中です。

先日、ある方に、スピリチュアル・リーディングを
して頂きました。

そして、私の前世のその前の過去世では、
『森の中の樹齢の高い樹』であると言われました。

もし、人間は、何度転生しても、人間なのだとしたら、
その方のリーディングは、真実ではないということですよね?

リーディングの結果を信じていましたので、
ショックです。

ようこそ。れお様

はじめまして、雨月です。
このような辺鄙な文字ばかりのブログにお越しいただき、ありがとうございます。
仏陀のその話は存じ上げていますが、私は、それを、人間として思い上がるな、すべての命は命と言う部分で等しく尊いのだから。
と言う意味に捉えております。
私も、野良犬を見、子供を必死で育て、カラスと戦う野良猫の母親を見るとき、心から頭が下がります。私に果たしてこれだけ純粋で、無私の子育てができるだろうか?と思うとき、YESという自信はありません。
人は人、犬は犬という割り振りをしているのではなく、
等しく命あるものとして、それぞれに役割があり、それに伴う、義務もあるのだと思っています。
人間は思考とか、言葉という便利なようでとても不便なものを身に着けたがゆえに、多くのものを見えなくしてしまった。
そんな気がしてなりません。
みなが、れお様のように、素直にまっすぐに今、目の前にあるものを見ることができれば、この世ももう少し住みやすくなるのではないか?と思えるのです。

はじめまして、こんにちは。れおともうします。初めて読ませていただきましたので過去記事へのコメントでごめんなさい。

ブッダは犬を殴っていた男に「殴るな。その犬はかつておまえの父親だった」といったというはなしをきいたことがあります。私は仏教徒ではありませんが、このはなしはとても好きです。

輪廻転生などという高級なものいいは好きじゃありませんが、ふつうに考えてこの宇宙が無限であれば、有限の無限乗が可能なわけで、どんな存在の組み合わせもありだとおもいます。ときどきわたしは散歩中に出会う捨て犬の目を見ていて、ああ負けたなとおもいます。こいつのほうが立派だと。同じことを木や、下手をすると虫にもおもってしまうことがあり厄介です。彼らにわたしはどうしてももう一人の自分を感じてしまいます。

だから雨月さまのようにひとはひとに、犬は犬にという割り振りができる方がうらやましいです。存在という在り方すべてからの超脱が自分には必要なのです。

かってなことをかきちらしてごめんなさい、お邪魔致しました。

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