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雨月

Author:雨月
カウンセリングやヒーリングを仕事として*年
最近では、スピリチュアリストと言う方が通りが良くなりました。
生きとし生けるものが大好きで、人が大好きで、何より寝ることが好き!
比叡の山中に庵(虹の風)を構えています。
疲れたら、一休みしにいらっしゃいませんか?
琵琶湖の風に吹かれ、鹿やいのししの声を聞き、鳥に目覚めを即される。そんな庵です。


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ただ座るというと、
ほとんどの人が座禅を連想するらしい。
座禅とは、とても日本的な方法で、
なぜか、いまや世界中に広がっている。
いや、
禅という言葉が広がっているのか?
海外へ行くと、
座禅と禅はほとんど同じように考えられている。
座禅はもちろん禅の一部で
禅の修業の大きな部分を占めているが、
禅そのものではない。
まあ、今はそんなことは良い。

座禅が有名になったからか、
日本の文化に座禅が定着してきたのか
座禅を体験している人は増えてきた。
しかも、
薀蓄の書物もたくさん出ている。
そのなかに、
ほとんどの場合、
座禅は空を体験することだ
ということがある。
座禅をして空を体験したか?
そんなに簡単には物事は進まない。
空とは何か?
それを知らずして、空を体験したかどうかはわからない。
ほとんどの場合、空らしきもの、
空だと思われるもの、
空だという知識があるもの
を、
体験したというべきだろう。

座禅をするとき、
空になろうとなどする必要はない。
自分が知りもしないものになることなどできないからだ。
それはこっけいなことに過ぎない。
何かになろうとするのではなく、
総てを受けいれる。

体に感じる風や暑さだったり、
外になく鳥の声やせみの声だったり、
風や雨の音だったり、
時には走る車の音、遊ぶ子供たちの声
それらをただただ聞いている。
それらをただただ感じている。

批判することなく、
評価することなく、
対話することなく、
同化することなく、
考えることなく、
ただただ、そこにそれがあるだけ。

そういった状態で、
ただ、座って自分自身がそこにあることを許せば良い。
何か特別なことを感じる必要などないし、
何か特別なことを体験する必要もない。
空に成る必要などないし、
空を感じる必要もない。
空を感じようとすると、
そこに、思考という邪魔なものが生まれ、
空に成ろうとすると、
自分でない何かになろうとしてしまう。
だから、まずは、ただただ座り、
そこで、呼吸し、感じていれば良い。

座禅とはそうやってスタートするのだと思っている。
できれば、時間もあまり気にしないほうが良い。

座禅をするには細かな決まりがある。
服装だったり、
座り方だったり、
手の置き方、
歩き方、
座る時間、
目線の位置
一つ一つにとても細かな決まりがある。
作法と呼ぶ場合もあるが、
ねばならないの羅列であることに違いはない。
こんなにたくさんなことに気を配っていれば、
自分自身の中を見たり、
自分自身の中に気がつく隙間などなくなるだろう。

いろいろな決まりごとを守って
何かをするということは、大きな安心感となる。
しかし、その安心感は、
自分は、決められたとおりにした。
自分は間違ったことをしていない。
というところからくるものである。
それが自分自身に気づくための
座禅に必要なのだろうか?
だらしなくなれ。
といっているわけではないが、
自分らしくあるということは忘れないでほしい。
そして、自分自身であることを忘れないでほしいと思う。

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