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雨月

Author:雨月
カウンセリングやヒーリングを仕事として*年
最近では、スピリチュアリストと言う方が通りが良くなりました。
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朝青龍と相撲

本来、国技とはその国で生まれた
武術やスポーツ競技を指す言葉である。
後に、色々な国で、
色々なスポーツが行われるようになると、
その国家で、国家として特定のスポーツ競技の普及強化に努めている場合にも国技と呼ばれることとなった。
ところで、
日本の国技は?
と言われると、誰もが「相撲」と答えるだろう。
なんせ、「両国国技館」で行われるのだから、
国技に違いはないはずである。
ところが、ご存知だろうか?
文部科学省が相撲を国技と認めていない為、
相撲は国技ではないとも言われる。
この場合、国技と呼ばれるのは、
国の認定が必要なのだろうか?
どうも、結構アバウトな所で、
「国技」と言うものは定義されているように思えてならない。

最近、朝青龍が話題に上っているが、
やはりここでも、「国技」としての品格
とかが一番の問題となっている。

朝青龍の弁護をするわけではないが、
彼はもともとモンゴル人である。
いや、今でも、モンゴル人であり、
日本に帰化するつもりはないようだ。
(妻もモンゴル人という情報がある)
若干26歳のモンゴル人である彼に、
1997年に来日したので、在日暦10年
その彼に、相撲界はいったい何を期待したのだろう?

彼の一家はモンゴル相撲の名手で高名であり、
その感覚でそのまま日本に来たのだと思う。
彼にしてみれば、
ちょっとルールの違うモンゴル相撲だったのではないか?
モンゴル相撲は、
すもうと言うよりは、レスリングやプロレスのように、
単に力の強さ、技の強さで勝つことが大切なように思う。

日本に来て、相撲を練習している彼に、
親身になって日本を教えた人はいるのだろうか?
モンゴル相撲と、日本の「相撲」の違いを、
彼にわかるように教えた方はいるのだろうか?
相撲とは、日本の「国技」であり、
勝つことも大切だが、
その精神性がもっと大切であることを、
誰が彼にわかるように教えただろう。

村の神社での奉納相撲。
これが日本の相撲の始まりだった。
もともと相撲はスポーツではなく
村の力のある男性が神社にて、祭りの際に
その力を示し、神様に捧げる神事が事の起こりだった。
そのため神様に対する敬意を示すための礼儀作法が現在でも大変重要である。
その力自慢が高じ、相撲となり、神事として
神ととる相撲の形が生まれた。
神様と相撲をとるのだから、
それは神聖な場所で行われるべきことであり、
そのため、相撲の土俵は注連縄で丸く区切られ、
勝負のたびに清めるための塩を撒く。
スポーツと言うより、神の前で行う儀式の一部だったのだ。

神ととる相撲は、
決して人が勝つことのない相撲で、
しかし、挑戦するべきは、
人としては、最も相撲が強い人間でなければならないがゆえに、
選抜して村で最も相撲の強い人間を選び出す。
その後、奉納相撲として、
人と神が相撲をとる。
めでたく神が勝ち、今年の豊穣を約束する。

そういった歴史や、
日本の風土、文化に、彼はどのくらい触れたのだろう?
なまじ強いがゆえに、
ただただ賞賛され、
強いことはいいことだ!と
強いだけで上に上って言って当たり前だと、
相撲は格闘技だ。
相撲はスポーツだ。
格闘技とは、スポーツとは、強ければそれでいいのだ。と、
彼に思わせたのはいったい誰なのだろう。

それらを今、相撲関係の方は本当に考えているのだろうか?
相撲を「国技」だとするのなら、
一種の伝統芸能と考えて、
日本人であることを必須条件にしてもいいと思う。
もっとも、今の日本人に、
これに値する人間がいるだろうか?

朝青龍は、たまたまモンゴル人だったから、
事は早くに露見し、
問題をはっきりさせてくれた部分もあると思う。
このままでは、遅かれ早かれ、
同じような問題は起きただろう。
そのとき、それが日本人のお相撲さんによって引き起こされたら、
相撲界はどのように対処するのだろう?
その日は目前に迫っているように思う。

すもうと言うのは特殊なもので、
肉体自身もかなりいびつにならざるを得ない。
それだけに、大変な努力と根性がないと、
上へとは上がっていけないのだと思うが、
それとは別の意味で、
仲間意識が強く、
お互いにかばいあい、馴れ合ってしまう一面もあるように思う。
相撲はかなり特殊なので、
問題も結構はっきりと出てくるのだが、
日本のスポーツ業界は大なり小なりこの一面を持っているのではないか?
いまや、テレビをつければ
朝青龍の話題を聞かない日はない。
朝青龍の家族の暮らしぶりや、
仕事、金銭関係までが、
面白半分に取りざたされている。
彼は体を張ってこの金銭を稼いだのだ。
どのような使い方をしようが、
それが犯罪でない限り、彼の自由ではないか?

もし、これはたとえだが、
松井選手(ゴジラ松井)が、報酬で会社をいくつ持とうと、
多分、誰も何も言わないだろう。
いや、魅しろ賞賛するかもしれない。
なのに、
朝青龍が正当に得た報酬で、
何を買おうと、それは自由なはずなのに、
どうしてこうなってしまったのだろう?
惜しむらくは、
彼に日本においての「相撲界」の特殊性を
誰も教えられなかったことだろう。
昨今、日本において、
26歳と言えば、大学を出たばかり、
まだまだ火世っこで、遊びたい盛りである。
風邪を引きました。と言って
会社をずる休みして野球の試合に行ったり、
スキーに行ったりしても、
ちっともおかしくないのだ。
多分、朝青龍も、その程度のつもりだったのだろう。

朝青龍が正しい。
と言うわけではない。
彼に、横綱の自覚がなかったと言うのは、
正しい見方だと思う。
攻められるべきは、
そのように無知で未熟な人間を横綱にしてしまった相撲協会であり、
彼をきちんと教育できなかった相撲部屋の責任であり、
そして、自ら学ぼうとしなかった朝青龍自身の問題である。

しかし、なぜここまでこじれたんだろう?
「ごめんなさい。」
と言って、暫らくおとなしくしていれば、
何もそれ以上起きなかっただろうに。
周囲に、誰もそれを言ってあげる人はいなかったのだろうか?
もし、それを言ってあげたい。
と言う友人の一人もいなかったのだとすれば、
そのような人間を横綱にしたのはなぜだろう?
人格も含めて審査対象だったのではないか?

私は、ここまでこじれたい上、
朝青龍は引退するべきだと思う。
このままでは、どのような形をとろうとも、
こじれてしまった関係は元には戻らない。
もし、相撲で勝ち続けたとしても、
それは相撲ファンを減らすことになってしまうだろう。


ところで、最後まで疑問が残ったのだが、
相撲は「国技」と言っていいのか?
誰か明確な判断基準を示してほしい。
誰か、これに関してご存知の方があれば、
ぜひ教えていただきたい。

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