習慣という言葉がある。
とても便利な言葉で、
最近のヒットは、
「生活習慣病」という物だろう。
いや、いまや、「メタボリック」というほうが記憶に新しいかもしれない。
「習慣」というのは、
特定の行動湯式や生活様式がある程度の人数に達したときにつけられる。
では、その人数は何人なんだろう?
それとも、人口の何割なんだろう?
明確な基準は聞いたことがない。
社会的に見て、
結構な人数になったとき?
社会的にその行動が普遍的であると認識されたとき?
それって流行がある
というか、流行も関係する?
考え出すと、きりがない。
喫煙や飲酒、肥満までが生活習慣の中にはいっている。
あれ?
なんだか、
自分ではなかなかコントロールできないことばかり?
コントロールできないこと?
いや、そうじゃないだろう。
「習慣」という不思議な言葉にだまされて、
そこにあって当たり前!
われわれがその行動をとって当たり前!
と思っていないだろうか?
私に、飲酒と喫煙の習慣はない。
それは、飲酒と喫煙が体に悪いことだからやらない!というのではない。
飲酒も、喫煙も、別にやりたいと思わないからやらない。
お酒をおいしい、ぜひ飲みたい。
と思わないし、
たばこをのんでみたが、おいしいとはまったく感じなかった。
だから、私は飲酒も喫煙もしない。
つまり、私に、飲酒・喫煙の「習慣」はない。
ということになる。
では、「生活習慣」というのは、
個人の嗜好にとても左右され、
個人の嗜好の上に立ったものなのか?
嗜好が「習慣」の元?
では、「習癖」と、「習慣」は似たようなもの?
違いの明確な壁は?「生活習慣」といわれると、
あまりにも「あって当たり前!」という気がして仕方がない。
でも、それが、大きく「嗜好」に左右されるものだとすると、
それはそんなに普遍的なものではないような気がする。
飲酒と喫煙が、
社会的にはやめられなくて当たり前のように受け止められている傾向がある。
禁酒も、禁煙も、大変に難しい。
と誰もが言うし、思っている。
変じゃないか?
「習慣」だから仕方がない。
「習慣」だからあって当たり前
「習慣」だから、身につきやすい。
「習慣」だからやめにくい。
と思っているのではないか?
う===ん
ここで、「社会的習慣」となると、
ちょっと様子は変わってくる。
たとえば、
身内に不幸があったとき、
翌年の年賀状は遠慮する。
これは「社会的習慣」である。
もっとも、日本における「社会的習慣」だが、
関係ない、年賀状を出しても良いじゃない。
と思っても、
なんとなく、遠慮してしまう。
喪中には年賀状を出さない。
という「社会的習慣」を知らない。と思われたくない。
みんながやっていることだから、
自分もそれに習わなくてはならない。
つい、そう思って、
喪中のはがきを出したりする。
いや、すでに、
年賀状を出す。
と言う行為自身が「社会的習慣」なのだろう。
こうやって見ると、
「社会的習慣」は、「常識」と言う言葉で置き換えられるものが多い。
でも、「生活習慣」は「常識」と言うくくりには入りにくい。
ただ、私たちが「生活習慣」を思い浮かべるとき、
「社会的習慣」に置き換えられる「常識」(あって当たり前のもの)
と言う感覚がどうしても伴うような気がする。
まるで、言葉のマジックである。
「生活習慣」は、けっして「常識」(あって当たり前のもの)ではない。
それを理由に
やめられない。はずは・・・・ないのだ。
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