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雨月

Author:雨月
カウンセリングやヒーリングを仕事として*年
最近では、スピリチュアリストと言う方が通りが良くなりました。
生きとし生けるものが大好きで、人が大好きで、何より寝ることが好き!
比叡の山中に庵(虹の風)を構えています。
疲れたら、一休みしにいらっしゃいませんか?
琵琶湖の風に吹かれ、鹿やいのししの声を聞き、鳥に目覚めを即される。そんな庵です。


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祈りは力である

祈りは力である。

この言葉は、スピリチュアルに関心のある方なら、一度は聞いたことがあるに違いない。
しかし、多分に宗教的なニュアンスが強い感じがしたことと思う。
真剣に祈れば、チャンスが来るとか、
真剣に祈れば、神仏がすべてをみそなわし、何かを与えてくださる。とか、
祈ることによって大いなる力や自分自身の内なる高次の存在が力を貸してくれる。とか、
そういったことが多いように思う。
つまり、すべては自分自身ではないより大きな力の存在をもって
祈りに答えてくれるとする所があるのだ。

しかし、そうだろうか?
私は、とある宗教の敬虔なる信者で、とても真剣に祈る方を存じ上げている。
しかし、彼女の祈りは、聞き届けられていない。
そして、彼女は、自分自身の祈りの力がまだまだ足りないのだと言う。
いささかの違いはあるとしても、
彼女のような方を、数多く知っている。

しまいに、祈りが聞き届けられないのは、それが今世自分に課せられたカルマなのだと言う場合もある。
神から与えられた試練だと言う場合もある。
自分が前世でしたことの返しなのだと言う場合もある。
先祖の因縁で邪魔をされているのだと言う場合もある。

こういったことがまったくないと言うわけではないが、
それらの多くが間違った捕らえ方をされているように思う。
こういった諦観に達するには、
それこそ、血のにじむ思いで努力を重ねたり、
まず、自分自身でどうにかしようと努力したり
周囲に対して、何を助けてほしいのか、きちんと説明をしたり
と言った努力をして、
その結果として始めて発生するものなのである。

祈ることを無駄だと言う気はない。
祈るしかない事があるのも十分に知っている。
祈っても何も起きない。と言っているのでもない。

祈りは力である。

これは正しい。
祈るとき、
全身全霊をかけて祈るとき、
自分自身の中の深い所から、
思わぬほどのエネルギーが沸いてくることも知っている。
でも、それは、すべて、行動が伴っていることが大切なのだ。

神は自ら助くるものを助く
と言う言葉をご存知だろうか?
溺れる者はわらをもつかむと言うが、
そのとき、おぼれているものにとって、
わらは丸太に勝るとも劣らぬ強大な存在なのだ。
そして、そのわらを必死でつかもうとする足掻きにこそ、
祈りの力、神の配剤が宿るのだと私は思っている。

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